世界の中心で、愛をさけぶ

映画を見てきました。ネタバレちょっとするので、改行します。


















重じいが朔太郎に向かって言うセリフ「生きている人間は後片付けしかできない」という言葉に納得出来ませんでした。死んだ人に対して行うこと、感じること、考えること・・・それを「後片付け」と表現されることに、納得がいきませんでした・・・が
パンフレットの中で、行定勲監督がこのようなことを言われてました。

後片付けって、乱暴な言葉に聞こえるかもしれませんが・・・。これは知人の話ですが、ある葬式で呆然としていたら”おまえは生きていくんだから、その人の後片付けをゆっくりしてあげなきゃいけないだろ。何をしてるんだ、慌てふためいて。これからどうしよう?なんて立ちすくむのなら、それだけの時間をかけて死んだ人のことをちゃんと弔ってやれ。おまえはまだ何もやってないじゃないか”というふうなことを言われた、と。僕にも同じような経験があったんです。彼女は何だったのかということをちゃんと”片付ける”。想うことは大切だけど、散らかしたままではしょうがない・・・そういうことって誰かに言われないと気づかないのかもしれない。きっと重じいは”俺みたいに老いぼれていっていいのか。おまえに大切なのはそうじゃないだろ”、と言いたいんじゃないか

監督が言いたかったことが、ようやくわかった気がしました(出来ることなら、映画の中で気付きたかったですが・・・)。自分は何だろう・・・多分、ようやく片付けを始めた段階なのかもしれません。




映画の話に戻ります。
主人公の若い頃を演じる森山未來さん、そして長澤まさみさんが素晴らしかった。原作の2人は、非常に雄弁で思ったり感じたりしたことを言葉でガンガンぶつけあうんですけど、映画の2人は何というか・・・「体で演じている」というニュアンスをすごく感じました。繊細なとか絶妙なとかいう感じとはまたちょっと違って・・・80年代に生きているという「息遣い」を2人から感じたというか・・・とにかく、素晴らしかった。現代の朔太郎がアキを思い出すときに、原作とは違ってウォークマンを使うというのも新鮮でした。80年代の彼女の声がリアルに蘇り、その声を聞いている朔太郎の姿を見ながら、自分も映画館の客席で耳をすませ、彼女の声に集中していました。
カセットテープのウォークマン、FMラジオのリクエスト番組、佐野元春の「SOMEDAY」、渡辺美里の「きみに会えて」・・・どれも凄く懐かしい。学校の体育館とかも、自分が行ってた学校とそっくりな作りをしていたので、余計に感情移入しながら見てしまいました。
世代によって、感じることや思う事は色々違うかもしれませんが・・・いい映画だったと思います。映画館は満員で、映画の中盤以降、あちらこちらですすり泣く声が聞こえてました。