盧武鉉大統領と韓国

先日、竹島問題で自分の意見を書こうとして書けなかったのは・・・凄まじく複雑な感情が今の自分に渦巻いていたからだったのですが・・・まぁでもせっかくBlogを持っていて、そして韓国について色々書いてたのですから・・・せっかくだからこの機会に自分の現在の心情を書いておこうと思いました。今までは敢えて避けてきた、日韓関係の負の部分にも、いつかは触れなきゃいけない時が来ると思っていたのですが・・・しかし自分は今の日韓双方のどの世論にも賛成するところが無く・・・そして自分の中に結論も無く、まだ考えはまとまっていません。まとまってはいませんが、ただ思うところは書いておこうと思います。・・・ちなみに、以下の文は長くて読みづらくてまとまってなくて、そして結論も無いです(苦笑)。
韓国の盧武鉉大統領を自分が初めて意識したのは2003年のチョナン・カンとの面談の時だったかな? (とは言ってもその放送自体は見逃してしまったのですが・・・)、たしか、この頃韓国の日本文化解禁政策を知ったんでした。まぁ特に深く調べることもなく、その政策一点を持って「日本に友好的な大統領なんだろうなぁ」とか思ってました。その後、2004年1月にテレビ東京で放送された「ワールドサテライト」で韓流(日本の冬ソナブームじゃなくて中国でのK-POPブームのこと)特集があり、その放送の中で、盧武鉉大統領が文化・エンターテインメントを重要産業と位置付け、大規模な援助・育成を行っているという報道がされていました。これを見てかなり衝撃を受けたのを覚えています。日本ではアニメーション・ゲーム産業が日本発の文化産業であると言われながら、国も社会もその将来性・未来性への絵を描くことが出来ず、一部のカリスマクリエイターの作品群を除き、多くが市民権を無くして没落してしまいました。そういう状況を目の当りにしていただけに、この盧武鉉大統領が自らそういう政策を採り、それが一定の成果を見せていることに驚き、韓国では非常に先進的な政治家がトップに立ったとの認識を持ち・・・その意識をつい最近まで持ってました。
ちょっと話がそれますが・・・自分は、俗に言う「戦後民主主義教育」をみっちり受けた世代(今も多分この教育は行われていると思うけど)だったのですが、その価値観が1991年の湾岸戦争では全く通用しなかったことに大きなショックを受けました。平和主義を貫いた筈の日本が国際社会から大バッシングを浴びている様子を見て・・・それまで国によって教え込まれてきた全ての価値観が崩壊してしまいました。それ以来「政治」というものに興味を見出すことが出来なくなり・・・俗に言う「政治無関心層」となり、日本が今も色々と複雑な問題を抱え続けていることについて無頓着なまま生きてきました。
そういうこともありまして・・・この新しい盧武鉉大統領についても、彼が選任されたいきさつも、その政治手法も、掲げる目標も、なんら気にすることなく・・・ただ文化産業面での先進性のみに注目していました。その狙いも、理由にも特に気にかけることなく・・・
彼の政策について最初に疑問に感じたのは、2004年3月に韓国で制定された『親日行為』究明法でした。法名だけでビックリするような名前でしたから、一体何なんだ!?と思って調べたところ・・・これはどうも野党ハンナラ党の弱体化を狙ったものであり、国内対策的意味合いが強いということと、そもそもこの法案の狙いは、韓国の過去の歴史に対する再見直しと清算であるということを知りました。そのときはそれ以上深く考えることはありませんでした。また、この法案によって韓国の「過去の歴史に対する清算」を求める気運を知り、それは今の日本もまだ未完了であることから非常に興味を惹かれました。
その「過去の再検証」については、様々な韓国映画によって実際に触れることが出来ました。「殺人の追憶」で描かれた1980年代の世情、「シルミド」で描かれた南北関係の複雑な変遷と、その中で起こった様々な悲劇、「ブラザーフッド」で描かれた同一民族による戦争の悲惨さと、当時の「韓国側」に起こった一般市民にとって理不尽な政府の行為・・・そして先日観た「大統領の理髪師」では、韓国現代史のタブーと言われていた(らしい)朴正煕政権時代の世情を・・・その作品毎に様々な手法で描いていました。昔の作品でも、有名な「シュリ」JSA」は勿論、光州事件を重要部分に取り入れた「ペパーミント・キャンディー」等々・・・自分が惹かれた韓国映画には悉く「過去の歴史を見つめ直す」という思惑が含まれていたように思われます。過去の歴史を冷静な視点で見つめるということは、その社会が成熟してきた証であり、それを映画という文化産業で行うのは、その国そのものの紹介にもなり・・・自分は韓国映画を見るたびに韓国に対するイメージを改め、より深く興味を持つようになりました。
韓国ドラマを中心とした昨年の韓流ブームについては、熱狂しているヨン様ファン達(私の母を含む(笑))を少々呆れ顔で観ている人達が沢山おりまして(私を含む(汗))、まぁどちらかというと一部の層のかなり暴走的ブームの側面が大きかったように思いますが、対して映画については、表面的、興行的には正直失敗している面が大きい反面、キネマ旬報等のベスト洋画論の中で韓国映画を評価する人々の割合が非常に多かったのを見ても実感しましたが、そのレベルの高さは本物だと感じる人が少なくなかったように思われます。
ただ・・・少しだけ疑問点もありました。それはスクリーンクウォーター制です。これは韓国映画産業保護の為に、映画館で上映する作品中の韓国映画の割合を一定に保たせるよう取り決めた制度です。韓国映画産業が振興したのはこの制度のおかげであり、これこそ韓国政府の文化産業政策の最たる例だと言えなくもありません。産業育成の為、期間限定の保護貿易政策を行うことは特に珍しい話でもない・・・のですが、自分が気になったのは、この制度に関する維持活動でした。あるとき、KNTVで、スクリーンクウォーター制維持を訴えるデモ集会みたいなものが紹介されていて、韓国俳優アン・ソンギが当制度の必要性を訴え、沢山の映画俳優の人達によってまるで労働者団体のデモ活動のような風景が繰り広げられていました。あまりにも普段見慣れた「政治的デモ活動」と極似したその映像に、妙な違和感を感じたのを覚えています。文化産業と芸能人とデモ活動・・・「似合わない」と感じた自分の印象のどこかに「テレビ等で大衆メディアに絶大な影響力を持つ面々が政治的発言をする」ことに対する違和感があったのかもしれません。
話を戻しまして・・・まぁそういうことを思いつつ韓国エンタ関連に興味を持ち続けてきた自分ですが、ある日、そんな自分に強烈なパンチを喰らわせる文面に出会いました。韓国に興味を持つにつれ、日本で最近急速に広まっている「反・反日」思想にも敢えて目を向けておこうと思い、SAPIOとかよく読むようになっていたのですが・・・たしかSAPIOだったと思うんだけど、その中で櫻井よし子さんが書かれていた盧武鉉政権に対する警鐘記事が、私にとっては非常にショッキングな内容でした。
盧武鉉大統領は今や崩壊寸前の北朝鮮金正日政権を支えることに固執し、その為に6ヶ国協議からの枠組みを自ら逸脱しつつある。極端な反米・反日親北路線に走り、その批判を抑える為におよそ民主国家らしからぬ政策を強行している。彼の政治目標は北朝鮮との平和的連合による民族統一であり、その為には国際社会からの孤立さえ恐れていない」・・・文面はよく思い出せないのですが、書かれてあった内容はこんなかんじでした。前述したとおり、私は日本や世界の近代・現代史に無頓着で、盧武鉉大統領の政策・政治方針にもほとんど興味を示したことがなく、単に文化産業における強いリーダーシップのみを見て非常に好印象を持っていました。彼が2004年3月に国会で弾劾されたときも、「国内政治がうまくいってないみたいだが、何とか復帰してほしい」と思っていたくらいで、何故弾劾されたか等は全く気にかけていませんでした。ただ、櫻井よし子さんという人は自分のような政治ド素人から見ても非常に信頼の置けるジャーナリストでありましたし、その寄稿文の内容にもおよそ胡散臭いところは見られず・・・そしてこのときに、あの「親日派糾弾」が実は現在の日本に対しても無関係ではなく、それどころが対日政策における大統領の方針に大きく関わっているのではないか・・・と、ようやく思い始めることになりました。
正直、そういう自分の考えは出来れば外れていて欲しかったのですが・・・2005年3月1日、3.1独立運動の86周年記念式典にて、彼は強烈な対日批判を繰り広げました。それに対する日本の反応はやや鈍く・・・小泉首相が「国内的発言」と言ったように、どちらかというとポーズとして受け取られていました。ただ・・・日本ではほとんど取り上げられていませんでしたが、その文面の中に、北朝鮮の日本人拉致問題について北朝鮮を擁護する文言が明記されてあったのが、私にとってはショックでした。盧武鉉大統領は、まるで金正日総書記ソックリの発言を宣言文の中で何回も繰り広げていました。やはり、櫻井さんの記事は正しかったのか・・・
現在の日本では北朝鮮に対する印象は最悪と言ってもいい状況であり、今なお「戦後民主主義」を貫く論調の人々でさえ、『この国は日本の完全な敵国であり、日本はこの国によってテロとミサイルと核の脅威に日々晒されており、その防衛は必須である。最早憲法9条を守る為に「あらゆる戦争を放棄する」ことは実質上不可能である』ことは否定し難い状況となっています。そしてアメリカをはじめとする国際世論も、ほぼ日本と同じであろうかと思います。しかし・・・対北朝鮮対策で最も重要な位置にいる韓国が北朝鮮に対してどのような施策を取っているかについては、一般で知る人は殆どいないというのが実情で・・・かつて戦争を行い、現在も休戦状態で、日本以上の拉致被害を被っている韓国が、まさか極端な親北政策を取っているだろうとは想像もしていない人が殆どではないでしょうか? 勿論自分もそうでした。
改めて、自分が見てきた「過去の歴史を検証する」韓国映画を思い返してみると・・・そこに北朝鮮批判を行った映画は皆無であり、むしろ北朝鮮の人々を情緒豊かに描く映画が多かった気がします。「シュリ」JSA」では共に北朝鮮側の人間を非常に感情豊かに描き、「シルミド」では金日成暗殺を目標に作成された特殊部隊が、当時の韓国政府の非情な判断によって悲劇に見舞われる様を描き・・・そして「ブラザーフッド」では、批判されていたのは当時の韓国内の施策の方であり、北朝鮮は決して単純な敵としては描かれてませんでした。自分はそういった傾向を、韓国社会の冷静さと、民族分断の悲劇に対する強い信念の証だと思い、そしてそれは今も完全に間違ってはいないと思いますが・・・ただ、その中に国家としての強力な「親北」政策が息づいているとすると、少し見方が変わってきます。こう考えた時に、前述した「スクリーン・クウォーター制維持運動」で感じられた、「ちょっとした違和感」が改めて思い浮かんできました。
・・・では、盧武鉉大統領がそこまで親北政策へと傾向するその背景は何だろう? そう考えることが多くなりました。つい最近、呉善花さんの「『反日親北』韓国の暴走」(ASIN:4093875502)という本を読んでみました。この人は日本では有名な親日派評論家で、韓国では極端な「親日派」(売国奴)として位置づけられている人だと聞いてます。この本は盧武鉉政権の批判本でありますが、その批判はさておき、「なぜ盧武鉉大統領は親北政策を断行するのか」については非常にわかりやすく説明されていると感じました。
呉さんの分析を要約すると

  • 冷戦終了後、世界各地で民族主義の高揚による地域紛争が相次いだ。それと同じ理由により、朝鮮半島では「民族主義による南北統一気運」が高揚している。
  • 北朝鮮の情報公開が進むにつれ、冷戦時代の反共主義によって韓国国民に教え込まれていた「悪魔国家」としての北朝鮮像は全くの偽りであったことが明らかになっていった。金大中金正日会談にてその姿を現した金正日総書記は、それまで語られていた人物像とは180度違っていて、非常に聡明で、そして朝鮮王朝の伝統的帝王学を受け継ぐ優れた政治家だった。
  • 一方、通貨危機以降のIMF管理下の「ネオリベラリズム」により韓国社会には深刻な「二極化」構造が起こり、その苦しみは市場経済への絶望感として強く世論に反映されることとなり、そして反米気運へと繋がっていった。
  • 民族主義の高揚・そして市場経済への絶望という2つの国民世論の中で、韓国大統領として選ばれたのは「恨の民族」の代表に相応しい略歴を持つ盧武鉉だった。
  • 彼は前大統領金大中の「太陽政策」を受け継ぎ、そこから更に一歩踏み入れ、北朝鮮金正日体制をより強力にサポートする政策を打ち出している。そして、北朝鮮と協調体制を取る為に更なる反米・反日路線へと急速にシフトし始めた。

・・・と、ここから先のこともかなり詳しく記載されてあって非常に勉強になりました。金正日がそんなに韓国で人気を得ている・・・というのは簡単には信じがたいものがありましたが、試しに色々と韓国のニュースサイトを眺めてみて・・・納得しました・・・
とりあえず・・・わかったのは、自分からみて非常に強引で急進的に見えた現在の政策は、全て「民族統一」という悲願がそのバックボーンにあるらしい・・・ということ。櫻井さんも呉さんもその「民族主義」による「親北路線」について強く警鐘を鳴らしておられました。私自身、日本で毎日のように流される北朝鮮関連の報道、そして拉致事件のことを思うと・・・やはり日本人として強烈な「危機」を感じずにはいられません。
ただ・・・あくまで自分個人の心情なんですけど・・・それでも・・・統一を願う心について、わからなくもない気がします。冷戦構造が崩壊し、東欧に急激な改革が訪れ・・・そしてあのベルリンの壁が崩壊したあの瞬間・・・自分はテレビにかじり付いて夜通しリアルタイムで見ていました。まったく別の民族で何の関係もない自分でしたが、心の底から感動したことを覚えています。自分のいる世界が、民族の分断という歴史をほとんど経験したことがなかったが故に・・・その求める力の強さに心を打たれました。もし、自分が今住んでいる国家が東西に分断されていたとしたら・・・その再統一がどんなに困難で無茶な道だったとしても、自分は一国民としてその統一を願うのではないかと・・・思います。
自分はたまたま「南北分断の歴史」を扱った色々な作品を見ていたが為に、過去の東欧の革命の記憶と結びついて今の心境に達したんだと思います。そして、この心境になったところで、今の状況が何ら変わるわけでもありません。ただ・・・自分は、別に今起こっている状況に対して何らかの判断をしたかったのではなく・・・「自分・そして自分が所属しているこの国が彼らにとって『敵』なのであれば、何故敵であり続けなければいけないのか? 何の為に敵として存在しているのか?」それが知りたかった。そして、その疑問については、うっすらと答えが見えた気がします。
一方で、「日本」を主語にしたときのことは未だに全く見えてこないのが実情で・・・お互い、全く違う目的の為に違う方向を向いているのか、全く同じ目的の為に同じ方向を向いているのか・・・それすらわかりません。いつか、何か思いつくことが出来たなら、そのときに何か書いてみたいと思います・・・