国家の品格

国家の品格 (新潮新書)

国家の品格 (新潮新書)

最近技術書以外の本を読んでいなかったのですが、久しぶりに本屋に行っていくつか買ってきたうちの一冊。薄かったのであっという間に読み終わりました。
なにやら賛否両論みたいなのですが、私も半分賛成・半分反対の感想です。まず、「資本主義」が万能ではないという主張には賛成。戦後失われた日本の「情緒」・「形」を取り戻せという主張にも賛成です。ただ・・・今が駄目だから、単に昔の日本に戻ればいいのか? そこには賛成できませんでした。
自分が就職した会社は年功序列を改めて成果主義を取り入れていました。しかしその実情は、実力主義とは名ばかりで、様々な社内関係・部門関係・上下関係が入り混じり、大きく混乱をきたしていました。少なくとも自分がいた会社での成果主義は、成果主義だったから失敗したのではなく「成果主義の本質を追及せず、形だけ取り入れた」からこそ失敗したのは明白でした。だったら欧米流を貫いた方がまだ何倍もマシだと、当時の自分は思ったし、今でもそう思っています。
また、自分は営業として製造業の会社とビジネスをする機会がいくつかあったのですが、当時の製造業は本当に危機的状況でした。外資に買収されて、凄まじいリストラと生き残りに向けた取り組みを行ってる企業に少なからず触れる機会がありました。あの当時は、それしか生きる道が無かった・・・そんな企業は日本には沢山あった筈。その選択が間違いだったなどと、自分は軽々しく口には出来ません。
結局、欧米流の成果主義を形だけ取り入れ、それを日本流に吸収することが出来なかった・・・外から取り入れた後、新しく生み出す力が、自分がいた会社には・・・当時の日本には決定的に欠けていた。だから当時の日本経済は壊滅的危機を迎えてしまったし、そこから脱出するために「形だけではなく、欧米流の方式を丸ごと取り入れる」しかなかったのではないかと思います。確かに欧米流そのままの論理は様々な問題を抱えていますが、問題の本質はそこではなく、今の日本はそこから新たな価値を創造できず、「ただ真似る以外に生き残ることが出来なかった」という一点にあるのではないか・・・今、当時の会社員時代を振り返ると、そう思えて仕方がありません。
かつての日本は、日本人は、外からの新しいものと日本古来のものを足して新たな価値を創造することが出来た。外来のものを吸収して、自分のものとすることが出来た。日本が真に失ってしまったものとは、それではないのかな? ただ過去に戻ればそれが答えとなるのではなく、過去の人々が大切にしていたものと、今正しいと思われている論理と、その両方から新たな日本らしさ・日本人らしさを創造していくことが大切なのではないでしょうか。