太平洋戦争
某掲示板で色々議論してたのをちょっと書いてみたいと思います(今まで書いてきたのも、その前に某掲示板で色々語った内容を書いてるのが多いんですが)
太平洋戦争の原因について話をしてると、よく「ハル・ノートが原因」とか「ABCD包囲網」とか「経済封鎖されて大陸進出するしかなかった」とかいう話をよく聞くのですが・・・なんか変な気がします。どの話も「日本は仕方なく戦争をした」という結論に結び付けられているのですが・・・これらの事項で結論づけて思考停止するのではなく、「なぜハル・ノートを突きつけられるに至ったのか?」「なぜABCD包囲網を敷かれたのか?」「なぜ経済封鎖されたのか?」と、その原因を突き詰めていかないと、「何故戦争をしたのか?」「何故負けたのか?」という結論には結びつかないし、過去の戦争を教訓にすることが出来なくなると思います。
「大日本帝国は欧米の植民地主義に対して立派に戦った」というのが前の歴史の結論であり、「反省をする必要は無い」ともし論ぜられるとしたら・・・その思考こそが亡国に繋がると自分は思います。仮に、前の戦争を「アメリカ謀略論」の視点で論じるとするならば・・・その結論は「日露戦争時点でオレンジ計画の優先順位を上げ、日本を外交的に次々と封じ込め、最終的に開戦・無条件降伏まで持ち込んだ」アメリカの手腕について学ぶべき・・・というのが結論になる筈では? そうならずに「アメリカのせいで戦争をした」という結論に持ち込もうというのは、それは「日本は悪くない」という結論ありきの論と言われても仕方なく、現在近隣諸国から言われている「戦争を美化している」という批判そのものではないかと思います。
歴史教育について「いい面を強調して、自分の国に対して『虹』を見せるのが教育の義務」って論調をときどき見かける(先日竹村健一がそう言ってた)のですが、本当にそうでしょうか? 歴史とは「過去の真実を学び、良き事も悪しき事もそれを教訓として現在・そして未来を生きる」為のものではないかと自分は思うのですが。だから、もし過去の歴史に誤りや捏造があるのであれば、それを正して真実を見つけなければいけません・・・が、その行為は決して「悪い行為を隠して良い行為だけを見せ続ける」ことにすりかわってはいけないと思います。
「パールハーバーは本当はだまし討ちではなく、宣戦布告がミスで遅れたせいだ」というのは、それが真実だとしても決して胸を張れるような歴史ではない筈。日本軍は(極東ではない)アジア解放の為に戦ったというけど、現実論として敗退しているのであり、たとえアジア諸国独立に影響があったとしても、それは日本自ら誇らし気に語ることなのだろうか? もし勝っていて統治していたら、アジア諸国からの評価は果たして今と同じだっただろうか? ときどき、極論として、インドなどの独立運動を無視して「アジア諸国は日本がいなかったら独立できていなかった」とまで語っている文章を見かけると、日本は「慎む」という文化を忘れたのだろうか?とさえ思うことも度々あります。なんというか・・・「日本人としての誇りを取り戻す」という主張が「恥の文化を忘れる」という暴論にすりかわってるのではないかと感じます。